2010年2月13日土曜日

トヨタのリコール問題から、なにを学ぶか

トヨタ自動車のリコール問題でもちきりの感がある2月
プリウスのブレーキ問題は、いま、リコールによるABSのプログラムの書き換えに発展している

「リコールがすべて失敗というわけではない」
もちろんである。
よりよいものにするためのリコールというものが、リコールの本来の趣旨であるからだ

プリウスのリコールにあたって公表された文面では、
制御プログラムが「不適切」という表現を使っていて、「失敗」という言葉はもちろん使ってはいない

しかし、トヨタの対応を含めた今回の一連の経緯が「失敗」ではない、と言い切ることはできないであろう

「失敗学」を提唱する畑村洋太郎教授によると
失敗の定義は
「人間が関わってひとつの行為を行ったとき、望ましくない、予期せぬ結果が生じること」
(失敗学のすすめ 畑村洋太郎著 講談社文庫)
とある。
プリウスのブレーキ問題は、「予期していた結果」ではないはずだ
すべりやすい路面で低速の場合には、ブレーキを踏み込んだとしても、制動距離が伸びる場合があり、
これは、「安全に止まる」という車にとっての最低限の目的からすると
「望ましくない」結果であろう

さらに、今回、このブレーキ問題を大きくしたのは
 「フィーリングの問題」とユーザー側にその問題の主体を押し付けたこと
さらには
 「ほんのすこし」「ブレーキが抜ける感じ」
などと、あいまいな表現を多用したところにあると感じる

すでに、批判の対象は、「不適切な」プログラムであった、ということではなく
トヨタの対応の問題に焦点がうつっているように感じる

今回のプリウスの問題から、学ぶべきところは多いはずだ
メルセデスの技術者たちには
 「実験室で何があっても、真実はすべて市場にある」
という信念があるという
理論、シミュレーション、ガイドライン
そういったものの外側、実際の現場にこそ、
「本当の真実」があるということだ

学ぶべきなのは製造業だけではない
医療現場こそ、
 「人間が関わってひとつの行為を行ったとき、望ましくない、予期せぬ結果が生じること」
からは逃れることができない

医療者はそれを「失敗」とは決して表現しないであろう
さらに、診療を振り返って検討する際でも
「不適切」という、ことばを使うことも忌み嫌っている感がある
しかし、医療現場で起こった「良きせぬ結果」を「失敗」ととらえて
それから何かを学ぶ姿勢が必要である

 「実験室で何があっても、真実はすべて市場にある」
この言葉を頭にしっかりと叩き込み
教科書やガイドラインを金科玉条にするのではなく
 「現場」におこったひとつひとつのできごと
を大切にすること
 そして、「予期しない結果」がおきたときに
それから、何かを学ぼうという姿勢をとることができるのか?
それが医療現場で試されていることだ

豊田社長は先日の会見で
「トヨタは全能(Almighty)ではない」
と発言し、反発を買っている
「医療は万能ではない」
と、語っていてはいけない。(そんなことみんなわかっている)

けっして
患者さんの側に、その原因を押し付けてはいけない
あいまいな説明をしてはいけない

「人の振り見て我が振り直せ」
今回のことから、さまざまなことを学ぶことができるはずだ