2009年10月20日火曜日

「かっこうのいい」医療が「よい」医療ではない

先週の水曜日から、日テレで始まった医療ドラマ

医療系のドラマはいままでいくつもあるが
外科や救急を舞台にしたドラマが多かったように思う
今回は産婦人科が舞台だ

産婦人科が舞台になったドラマがいままでなかったのは
1.産婦人科=お産、赤ちゃん
というイメージが一般的だったこと(産婦人科で癌の手術がするときいて心配した患者さんがいた)
が、その理由だろうと思う。
そのいっぽうで、
2.産婦人科には、視覚的に訴える”ドラマ”がない
ということもあげられるのではないか

本題に戻ろう。今回のドラマ
題名は ギネ 産婦人科の女たち
このタイトルにはいただけないところがあるが、それは次回以降にして
ドラマの印象について今回は書こう

第一印象としては、
「すごくかっこいい」だ。

カメラワークは、スピーディーだし
話の展開もめまぐるしい
難解な医学用語が次々と飛び出して
どんどん、事件がおきていく
みんな、必死の表情で院内を走り回り、
主人公をふくめた医師たちが次々に対応していく

「かっこいい」つくりになっている

ずいぶんとお金をかけて、リアルさを求めたんだなあって感じ
手術の場面、分娩の場面、そのセット、医師の動きがリアル
まあ、疾患の取り上げ方やその対応に、
いまいち、?の部分もあるものの
そういったところは、とりあえず、ドラマだからOKとしたい

ただ思うのは、
ちょっと、かっこよく作りすぎじゃあないのか、ということ

医療はけっして
「かっこのいい」ところばかりじゃあない
また、「かっこうのよさ」を求めるのが、医療の目標ではない

看護の日というのが毎年5月にあるのだが
その日の全国紙に掲載された看護協会の広告をみて、なんともいえない違和感を感じた
救急もしくは外科病棟を担当していると思われる看護師たちが
「かっこよく」ストレッチャーを移動させている写真だ
http://www.nurse.or.jp/home/event/simin/images/2009/asahi.pdf

医療現場は、こんなにかっこういいんだよ
こんなにかっこうよく、わたしたちは、かれらはやっていますよ
そういう、メッセージが今回のドラマにもこめられているようにみえる

こういった「かっこうよさ」は、みているものにわくわくとした
ある種の高揚感を感じさせる

しかし、ここでもう一度いおう
「かっこうのよさ」を求めるのが、医療の目標ではない
「かっこうのいい」医療が「よい」医療ではない

映画「ディアドクター」の主人公(笑福亭鶴瓶)は、決してかっこうのいい医師ではなかった(医師でさえなかったのだが)
だが、彼はまぎれもない、「医師」であった

2009年9月16日水曜日

せまくなったストライクゾーン

湯浅 誠 著 : どんとこい貧困 208ページから

社会の器、”溜め”が小さければ、
「そんなやり方は受け止められない」と言って、
その人は排除される。
そして社会の器、”溜め”がどんどん減っていけば、
どんどん多くの人たちが
「そんなやり方は受け止められない」と言われて、
排除されるようになっていくだろう。

いまは許されているものも、いずれは許されなくなっていく。
いまのあなたのやり方や振る舞いも、
いずれは許されなくなっていくかもしれない。
ストライクゾーンがどんどん狭くなっていけば、
いままでストライクだった球もボールになってしまう。
それと同じだ。

社会の器に受け止められなかった人たち、
ボールとされてしまった人たちは、
あんたが悪かったんだと言われて、
見捨てられていく。
(引用終わり)


社会の側に、受け止める力がなくなってきているように感じる
人々を、社会が受け止めるべき人と、受け止めようとしない人に
分ける傾向がより強くなってきている

そのときにつかわれることばが「自立」であったり、「自己責任」だったりする。

受け止めきれなくなってきた人の受け皿を用意することなく

ストライクゾーンの外へと排除され、「自立」が促されている
なげかわしいです

2009年9月15日火曜日

やりがいの搾取

「医療崩壊」の産婦人科に希望の光…学会の新規会員数が増加http://sankei.jp.msn.com/life/body/090914/bdy0909142356001-n1.htm

だそうだ

今年の産科婦人科学会の新規会員数が増加したという記事。このこと自体は、素直に喜びたい。
産婦人科医が減少しつつあるといういま、あえて産婦人科医を選んでくれた新人医師にはその期待を裏切らないようにしたい
しかし、「希望の光」とまでいえるだろうか。それは、産婦人科の崩壊の原因は、新人医師が減ってきていることではないからだ
学会は、「政治的」な意味で、産婦人科医療に改善傾向があると宣伝したい、そういう意図があるのだろう
まあ、麻生政権が、「景気は底を打った」と選挙前に喧伝していたのとたいした違いはない


産婦人科が崩壊してきている、その主たる原因は、新人産婦人科医が減ってきたことではなく、中堅の医師が、現場から離れざるを得ない状況に追い込まれていることだ
学会は、「やりがい」を喧伝して、新人の開拓にいそしんでいる。「やりがい」は確かにある。これはまぎれもないことだ。ただし、同時に、他科と比較して圧倒的に多い当直やオンコール。
「やりがい」ということばでは補うことのできない過酷な現場、それがいまの産婦人科医療だ。

ほんとうにこの国の産婦人科医療を支えていくのであれば、新人のリクルートよりも、中堅の医師に対するサポートが喫緊の課題だ。
根深く産婦人科医療の中にしみこんでいる、自分の過重労働を「自慢」するような、旧来の悪しき慣習をすみやかにあらためてほしい

新人医師は、「やりがい」を糧にして、過重労働をよろこんでひきうけるだろう
週に何回も当直をしても、「やりがい」ということばで、納得するだろう
しかし、「やりがい」があるから、「まともな」生活は犠牲になってよいのか。
これこそ、本田由紀氏のいう「やりがいの搾取」ではないのか

「やりがい」だけで、この過酷な労働を続けられるのは、10年がせいぜいであろう
今年の新人産婦人科医師が、10年後にもいきいきと働き続けられるように、
産婦人科医療が立ち直るためには、「まともな」仕事、として、産婦人科医療が
変革する必要がある

2009年9月7日月曜日

「おりこみ済み」の世の中

「おりこみずみ」
おもに、株式相場に用いられることばである
ネットで意味を引いてみると

計画や予算などに、ある事柄や条件などを検討のうえすでに取り入れてあること

とある。

昨日、お台場のビッグサイトまでシンポジウムを聞きに行ってきた
シンポジウムの題名は「自殺のない生き心地の良い社会をめざして」
10日のWHO自殺予防デーを前にして、NPO法人ライフリンクが主催して行っているシンポジウム

「おりこみずみ」は、そのシンポジウムで、シンポジストの姜尚中の発言
姜尚中氏は、シンポジウムのはじめから、なにか怒っているようであった
先日の衆議院選の開票日。テレビの番組で竹中平蔵氏と同席し、竹中氏は、わかっていない、と、憤慨されていた
自殺が毎年3万人を超えているこの日本の状況は異常だ、
との指摘に対して、
「なんで、こんなに経済がわるいときに、自殺の話なんかするんだ」
という印象を受けた
という

姜尚中氏は、
この日本で、毎年3万人が自殺していくことは、もう「おりこみずみ」になっているんだ
という

衝撃をうけた
人が亡くなることが「おりこみずみ」になっている世の中になってきていることに

「おりこみずみ」だからこそ、何の対策もしてこない
「おりこみずみ」だから、経済や政治の方が、自殺でなくなる「いのち」よりも優先される

いつからこんな世の中になったのか
交通事故での死者数は毎年1万人から、いまは、5千人程度に半減している

その一方、自殺でなくなる数は毎年2万人から、3万人へ増加して、すでに10年以上経つ
減少傾向は全く見られない

一年間に3万人、ということは、毎日90~100人が、この日本のどこかで自分でいのちを絶っている
この自殺者の多さは、世界的に見ても2番目。一位はハンガリー。上位には東欧の諸国がならんでいる
日本は、先進国と自称してきたのではないのか?
GDP世界2位を誇っていたのではないのか?

世界2位の国が自殺者で上位に位置していることを何とも思わないのか?

思わないのだ
「おりこみずみ」だから

この日本をどうにか変えていきたい
いまのこどもたちが笑顔で暮らせる日を約束するために

2009年9月2日水曜日

上を見上げてるあいだに・・・

先週静岡からの帰り道、新横浜の先、品川の手前で、にょきにょきとした巨大ビル群が出現。しばらく新幹線に乗っていなかったので??
そうか、武蔵小杉の高層ビル群か
みると、住居用とおぼしき高層マンションや外資系のホテルらしき看板がみえる

川崎市はほとんど平野なので、このビル群だけが天をついてたっている感じ

こんなに、住居をつくって、学校や病院、保育園なんかは大丈夫なのかなあって感じた

きっと、世界金融危機以前に計画されたんだろうなあ、って思う
ちょっと、いまの経済の沈滞ムードからは、あまりにも浮いている景色

そういえば今朝の朝刊。ほとんどが選挙の総括記事と政権交代へ向けての記事
そのなかに、小さく、百貨店8月も苦戦、という記事がでている
まだまだ景気は悪化のほうに向かってベクトルが向いているんじゃないのか

品川の新幹線脇、まえには何にもなかった品川駅の東口側、ここにも高層ビルが林立
林、というより、巨人が肩を並べてたっているような威圧感さえ感じる

いまの、日本にこんな建築物が必要だったんだろうか?
なにか、たいせつなものをみることはしないで、ほんとうに支えがひつようなところには目をふさいで、上へ上へと目をむけていたんじゃあないのか?
「トリクルダウン」。噴水のように上へ向かって吹き上がれば、そのうち、上から下へとしたたり落ちてくる
なにかが、落ちてくるのを待って、上を見上げているあいだに、あしもとはぐずぐずと崩れていっている

いまこそ、しっかりと視線の方向をかえなくてはいけない
そんな気持ちになった

2009年9月1日火曜日

医療の本当の姿をみてほしい

さて、政権交代だ

新政権に期待したいことのひとつが「医療崩壊」といわれている現状への対応だ
各地で、病院の診療休止・診療縮小が相次いでいる

毎年、2200億円の社会保障費の抑制、そして、政府の医師不足への対応不備、がやり玉に挙げられている

新政権は、この社会保障費抑制政策の撤回、医師養成数の増加、を政策にあげている
この政策自体で、「医療崩壊」の速度は多少はゆるむだろう
しかし、根本的な対策か?と聞かれると、胸をはって、そうだ、大丈夫、といっていい気がしない

いったい、どうして医療がここまできてしまったのか?
お金の投入が足りなかったのか、働く医師が減ってしまったためか?

ほんとうの、大切なデータが、開示されていない気がする
それは、医療費がどのような構造になっているかだ

レセプトのオンライン化がおこなわれれば、医療費はもっと透明になる、と、レセプトのオンライン化が進められているが、コンピュータをつかってデータ解析すれば、改善できる、なんて、安易に思っているのではないのか

日本全国でおこなわれている、医療へのIT導入。たとえば、電子カルテ、たとえば、レントゲン写真のデジタル化
ほんとうにこれらのIT化で、効率が上がったのか?
「効率」はあがる、というだろう。それは、「効率が上がる」ように恣意的につくられた指標でもって、IT化の成果を表すからだ

医師は端末に向かう時間が長くなり、患者さんに向かう時間が短くなった
医療は、いったいなんのためにあるのか、誰のためにあるのか
そんな当たり前のことが、どこかに消えていってしまっている

官僚がつくってくる資料や指標をうたがってかかって、ほんとうの、「生の」医療の現状を新政権には見てほしい

自民党政権ではできなかったことを、民主党政権に望みたい

新学期のはじめにあたって

地域によってけっこうまちまちみたいですが、長女の小学校、きょうから新学期がスタートです
新型インフルエンザの対策のために、今朝は検温してから連絡帳に記載して登校
インフルエンザで欠席者が複数いた場合には、学級閉鎖もしくは学年閉鎖になるらしい
いまのところ学校から連絡がないので、 今日はとりあえず大丈夫だったのだろう

さて、新型インフルエンザ
頼みのワクチンもまだできあがっていない様子
そのうえ、国内で作れるワクチンは数が足りないらしい。そのぶん、国外から輸入するという
薬害の防止のために輸入ワクチンについては、できるなら治験をおこなってからにしたいという
ただ、ただ、時間が限られるので100例程度にするらしい
100例程度の治験で足りるのだろうか

特定の疾患にたいする薬であれば、ある程度、その薬の対象となるひとたちの条件は絞れるけれど、インフルエンザワクチンの対象は、子どもからお年寄りまで、すでに持病を抱えている人もいれば、薬を飲んでいる人もいる
どんなふうに100例を選ぶのだろう
とりあえず治験を「やりました」という、アリバイ作りにならないような進め方ができるといいのだが

昨日おとといの台風が過ぎ去って、今日は青空。
そんななかすこしずつ秋が近づいてきている

こどもたちに、しっかり手洗いとうがいの励行を今日もつたえる父であった

2009年8月31日月曜日

選挙の余韻

40日間におよぶ選挙戦が終了。結果は、各紙が予想していたのと大差ない結果に落ち着いた。
いっぽう、この40日の間に、確実に世の中は動いている。新型インフルエンザの広がり、失業率の上昇、喫緊の課題が山積みになってしまった。

国会の召集は9月半ばになりそうだ。
はじめての政権交代、大きな支障がないように進んでいくことを願いたい。

何か世の中が違う方向にかわってきた、と思えるような政治・行政の変化がおこることに期待したい。
自分自身も、なにができるのか、すこしずつ動き出していきたい

2009年8月28日金曜日

「子ども手当」は所得の再配分

政権交代が確実になってきたいま、子ども手当について考えてみたい

民主党がマニフェストにのせている子ども手当は、15歳までの子どもに対して、一人あたり毎月2万6千円を手当として支給するというもの
まずは、来年度から開始して、初年度は半額の1万3千円。2年目からは全額を支給する予定

子ども手当は、少子化対策として語られるが、どちらかというと、税の再分配機能を改革するための政策である。
いままでは、こどもをもっている子育て世代の家族から、高齢者の方へお金が移動していた。
子育て世代が消費税・所得税・住民税、そして、年金保険料・健康保険料を納付し、それをもとにした高齢者福祉が成立している。
この若者世代が高齢者世代をささえる、という構造、それ自体には特に問題はない。
ただ、子育て世代の負担がおおきくなってきていて、これが、子育て世代のお父さんお母さん、そして、子どもたちへ、負担となってきている
これを是正して、子育て世代へ配分を大きくしようとしているわけである

こどもの貧困率の調査では、日本では7人に一人のこどもが、貧困世帯に属しているという。
(これについては貧困の定義など、さまざまな反論もある)
普通は、政治がこの状況をふまえて、貧困状態を解消する方向へと政策を組み立てるはずである。そのような政策がなされれば、貧困世帯に属する子どもたちの割合は減少するはずである。げんに、各国ともそのような政策になっている。
ところが、このこどもの貧困率が、再分配政策の前後で減少するどころか、増加しているのが日本の現状である。
これは、一つには、児童手当の額が少額で、結果として子育て世代への直接的な支援がすくないこと。もう一つは、日本の政策が、直接的な給付ではなくて、待機児童ゼロ作戦を例として、「政策」に対してお金が支給されていることが原因である。

たとえば、待機児童ゼロ作戦で、新しい保育園をつくったとする。この政策に使われるお金は、保育園の施設整備費、人件費、などへ使われる。
「ゼロ歳児をひとり一年間保育するために、予算が600万円必要」なんだ、とエコノミストが話していた。
この発言は、だから、お金がかかるから、なかなか待機児童はなくならないんだ、と続いていた。

(話はよこにずれるが、ゼロ歳児の保育に600万円かかる、というなら、保育園に預けずに、家でゼロ歳児を育てているお母さんは、一年で600万円の仕事をしていることになる。もっと、お母さんを評価してくれ!)

保育園へ運良く預けられた家族には、この「政策」は届いていることになるが、保育園を断られたこどもたちには、この「政策」はなかったも同然だ

このように、「政策」が届かなかった子どもたちを減らしていくためには、子ども手当のような直接的な支援を導入することが効果があるだろう
そのことが、所得の再配分の機能を生き返らせることにつながっていくと信じたい

いよいよ審判の日が間近に

いよいよ、明後日が投票日
期日前投票をしてしまったので、あとは開票結果をまつばかり
今日の読売新聞の情勢予測では、接戦選挙区で自民党が追い上げてきているという
底力をだすのか自民、それとも、逃げ切るのか、民主

二つの政党の間に埋没するのか、社民・共産

もうすぐ審判の日

過去最悪の失業率

7月の失業率、過去最悪の5.7%になった

有効求人倍率も、同様、0.42倍

いつ改善が見られるのだろう。
心配です。

児童虐待増加

2009/8/27の朝日新聞朝刊
社説に児童虐待増加の記事

心中も含めると日本で年間1000人余りの子どもの命が失われている、という
心中以外で死亡した事例を見ると、3歳までが8割、ゼロ歳児が半数近い
母親が望まない妊娠をしていたり、精神的に問題があったりすることが多いという

まずは、おかあさんをもっとサポートすることが大切
それにくわえて、周りが、妊娠した女性をささえる、という環境が大切

まずは、子育て手当て

民主党の子育て手当
少子化対策、ということになっているが、どちらかというと、
生まれてきた子どもが、よりよい暮らしをしていけるように、という、子どもを応援する生活手当だろう

少子化対策というよりも経済対策に近いと思われる

2009年8月27日木曜日

こどもたちが笑顔で暮らせますように

こどもたちが、もっと、もっと、笑顔で暮らしていけるように
いま、何ができるか?
いま、何を考えるべきか?
どんな、未来をめざしていくのか?

政権交代がほぼ確実となった、2009年8月28日、このブログを通して考えていきたい